20世紀は「強い」人に率いられた「強い」企業が勝った時代でした。その代表が、ジャック・ウェルチとGE、と言えばイメージがつきやすいかもしれません。
ハイパーコネクティビティにより、企業やその経営陣がどんなことをしているかが瞬時にシェアされる時代になりました。ひとたびコンプライアンス問題や不祥事を起こしたりすれば、つまり「悪い人」や「悪い企業」は、世界中に知れ渡ってしまいます。次第に「憎まれっ子世にはばかる」は通用しなくなるわけです。
「社員は普通の人」と述べましたが、「普通の人」は正しいこと・正義を好むものです。「悪い人」にも、「悪い企業」にも、喜んでついてはいくことはしません。
とはいえ、「悪く」ない、つまり、「良い」だけで勝てることを意味しません。「良い人」「良い企業」は必要条件のひとつに過ぎず、やはり「強く」なくては勝てません。21世紀は「強さ」と「良さ」を兼ね揃えなくてはならないのです。
日本には「良い」企業が多く、「強い」企業が少ないのが現実。しかし私は、「強いけど悪い企業」が「良く」なるよりも、「良いけど弱い企業」が「強く」なるほうに可能性を感じています。
実際、「オーセンティック・リーダーシップ」のような、サステナブルな「強さ」は、こうした文脈から求められています。そう、世界中が、「強くて良い」に収斂していくのです。
※とはいえ、21世紀もまだ残り80年以上。シンギュラリティが現実化したり、AIにより心のメカニズムが理解されたりすれば、21世紀後半にはまた新たな価値観が生まれるかもしれませんが。